わたしは、痛みから光を見つける人です
こんにちは、魂開放チャネラー 章-SHO-です。
はじめましての方も、いつもインスタなどを見てくださってる方も、
今日は少しだけ「わたし自身」のことをお話しさせてください。
幼少期~高校生まで

私は小さいころから、頑張って生きていました。
小学生の時にいじめに遭い、どうしたら仲間外れにされないのか、
どうしたら、人に愛してもらえるのか、迷惑をかけずに生きていけるのか・・・
そのままの自分を出すと、いじめられる、愛されない、
好かれるために頑張らないといけない、そういった思いがたくさんありました。
学校に行きたくないと打ち明けた時、母の涙を見て、自分を責めたんです。
母が大好きだったので、心配をかけている自分がなんだかダメな子供に思えました。
学校には行っていましたが、学校は常に気を張っていないといけない辛い場所でした。
それはいじめっ子が転校した中学生になってからも変わることはなく…
田舎で、コミュニティが狭く、虐められていた過去を誰にも知られたくなかったです。
それを隠すために必死で自分を取り繕っていました。
普段仲良くしてくれる友人に感謝することもできず、
他の人から虐められる恐怖と心配に支配されていました。
都会の10クラスくらいあるマンモス校に行きたい、
誰も私を知らない場所に行って人生をやり直したい、そんなことをいつも考えていました。
高校生を卒業してもこの気持ちは変わりませんでした。
今思えば、虐められる、嫌われる、そんな無意識の世界を投影していたんですね。
学生時代

大学は地元を離れ、地方に行きました。
新しい友人を見つけて楽しく過ごしたい、その気持ちが叶いました。
大学の友人たちは私を受け入れて、一緒に楽しい日々を過ごしました。
彼氏もできて、本当に青春だな、と思えましたが・・・
友人の態度に腹を立てて、何かぎくしゃくしたりすると、
私は友人関係がうまくできない人間なんだ、一人でいた方がいいんだ、などど考えていると、
彼氏ともうまくいかなくなったり・・・
授業の成績もよくなかったり・・・
人間関係でも学業でも自分はダメなんだ、と常に悩みが絶えませんでした。
無意識を投影しているから仕方ないんですけどね、でもそれはいま思えば、の話です。
上海時代

大学を卒業して、語学留学して、上海で大学院に入りました。
学業の成績は振るいませんでしたが、少し、自分は頑張っていると言えるようになることが
できたように感じられるようになりました。
異国の友人たちはそれぞれの考えがあって、ぶつかりながらも尊重し合う、
そんな人間関係を初めて目の当たりにして、とても衝撃を受けました。
誰かの顔色を窺っていた自分はいなくなりましたが、それでも他人優先の
他人軸は変わりませんでした。
ノーと言えない自分もいました。それでも、日本人としてこうでなければ、こうしなければ、
と自分の振る舞いを外から見てどう思われるか、と気にする日々でした。
素の自分が出ている時に笑われたりすると、やっぱり嫌な気持ちになってしまって…
そのままの自分を受け入れることができませんでした。
大人として、日本人として、女性として…そんなことばかりを考えていました。
さらに、自分軸を自分勝手だという認識をして、
外国の友人をわがままだとも思っていたからです。
自分軸=ワガママという方程式ができました。
会社員時代
日本に戻ってから、就職活動を始めました。
上海とは違う生活で、慣れることから大変です。
友人もおらず、寂しい日々でもありました。
とにかく決まった一般企業に就職しましたが、
面白半分で外国人のような扱いを受けたり、馬鹿にされたり…
常に人の顔色を窺い、誰かの邪魔にならないよう、のけ者にされないよう
必死で自分を守りながら、本当の自分を押し殺していきてきました。
それが当たり前だと思っていました。
女子の人間関係に振り回されることもあり、かなりしんどい思いをしましたが、
負けたくない、と思い食らいついていくうちに、だんだんと人間関係が
良くなってきました。
波動の合う人がだんだんと現れたんです。
それでも、職場で不安がなくなる日はありませんでした。
7年が経ち・・・ずっと振り回されていた上司からパワハラを受けるようになりました。
半年ほどまともにご飯が食べられず、毎日のように泣いていました。
親しい友人が亡くなって、とても悲しくて何もしたくないのに、
職場に行って、パワハラに遭い、私ができないから悪い、と責め続けました。
ある日、出勤してすぐに倒れました。
そこから休んで復帰してもうまくいかず…
異動もしましたが、結局会社を辞めることになりました。
本当は、誰かに「大丈夫?」って言ってほしかった。
本当は、もっと自分を尊重したかった。
本当は、もっと心地よいところにいたかった。
自分との出会い

またどこかに勤めに出るんだろうな、と思いながら、引きこもりの日々を過ごしていました。
自分の軸がないから、アイドルに傾倒したり、パワハラを思い出して
泣くこともありました。
休むために辞めたのに、何もしていない自分が社会への生産性を持っていないことが
恥ずかしくて、誰にも会いたくありませんでした。
仕事を辞める前に占いの先生にたくさん話を聞いてもらって、
たくさんお金を使ったのを思い出し、YouTubeで占いを始めました。
外に出たくない、誰にも会いたくない、家で仕事をしたい、
そんな思いから、どうにかお金を稼げないか、考えるようになりました。
人の顔色ばかり気にして、自分の気持ちを押し込めて、“いい人”でいなきゃって、無理して笑っていた日々。
会社を辞める時も腫物に触るように、誰も「大丈夫?」って言ってくれませんでした。
そんな日々にはもう絶対に戻りたくなかったのです。
電話占いの会社で仕事を始めることにしました。
私が「生き辛さ」をようやく感じたのはこのころでした。
身体が限界を迎えて倒れても、心の声を無視して、
できないのが悪い、とパワハラ上司の声を採用していました。
アイドルの推し活がきっかけでコーチングの先生と出会い、
内観を知りました。
初めて、自分の心の声を聴こうとした時です。
この先生のおかげで今の私があります。
初めて「なんでこんなに生きづらいんだろう」と自覚しました。
先生のセッションで、自分に会いに行った私が出会ったのは、
倒れて動けない、骸骨のようになった自分でした。
そんな自分に私は何もできず、なんと声をかけていいかもわからなかったんです。
それが自己対話の始まりときっかけでした。
どうしてほしかった?今ならどうする?なんて声をかける?
思考優位な私は湧き出る感情をキャッチできず、
ありきたりな質問でしたが、それでも
やっとやっと、自分の本音の声に耳を傾けたんです。
そこで出会った自分はとても甘えんぼで、寂しがりで、頑張り屋でした。
そして…わがままで可愛い人でした。
正直、私が理想としていた「飄々として傷つかないできる女」とは正反対でした。
玉ねぎセッションとの遭遇

今、私は「魂解放 玉ねぎセッション」をしています。
占い師のスキルを上げたいと思い、チャネリングを習いました。
特殊なクレンジング技術で、魂の望みに不要な意識を削除できるようになりました。
その特殊なチャネリングと、内観を組み合わせたものが玉ねぎセッションです。
これは、ただ占うだけでも、ただ励ますだけでもなくて、
あなたの奥にある本音と繋がって、いらないものをそっと手放していく時間です。
それは、まるで玉ねぎの皮を一枚ずつむいていくような作業。
痛みや悲しみの奥に、光がちゃんとあること。
あなたの中にすでに「愛」があること。
それを思い出してもらえるようなセッションを、心をこめてしています。
私は完璧じゃないし、まだまだ泣くこともあるし、
「これでよかったのかな?」と迷う日もあります。
でも、自分を大事にすること、
そして誰かの痛みに優しく寄り添うことは、
きっと、これからも私の中心にあるんだと思います。
このブログが、少しでも誰かの「ひとりじゃない」に繋がれば嬉しいです。
ここまで読んでくださって、ありがとう。
章
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